日記・コラム・つぶやき

コンクール入賞者「 励まし、励まされ、共に向上心を持って歩む!」

  日々生徒たちを教えていると、最近の若者たちは以前と比べるとかなりナイーヴになっていると感じる。
ですから、彼らを励ますために押したり、引いたり、なだめたり、いろいろやってみる。
結局思うことは、やはり人間、大切なのは、互いが励まされていることを感じるようになることと思っている。切磋琢磨とはよく言ったもので、成長は互いに励まし合い競争し合って、共に向上する環境をどのように作れるかにかかっているようにも思う。生徒に「やれ!」と言っているだけでは駄目で、私の頑張っている様子や、必死に悪戦苦闘している姿が、生徒には励ましとなっているのかも知れない。ここ数年を振り返ってみて、特にそれを感じている。
ちなみにこれも生徒たちを祝福し、励ます意味で今回記載しようと思ったのだが、生徒たちは本当によく頑張って来たと思う。
近々の生徒たちのコンクールの情報が届いたので取り上げてみます。
生徒たちから2017神戸国際音楽コンクール打楽器部門の報告では、大学・一般の部で国立音楽大学3年の亀尾洸一君が最優秀賞 並びに兵庫県教育長賞を受賞しました。また、中学・高校の部で国立音楽大学附属高校2年の富田帆香さんが優秀賞並びに神戸市民文化振興財団賞を受賞しました。
日ごろの努力が報われて本当に良かったです。おめでとう!!!
ちなみに前述の二人は昨年末に開催された、日本クラシック音楽コンクール(クラコン)の全国大会で、亀尾君は1位無しの最高位2位を受賞、岐阜国際マリンバコンクールで第1位。
また、富田さんはグランプリ(1位)を受賞しました。そして、加えて富田さんの同級生の若崎そらさんは3位に入賞を果たしました。加えて、同コンクールの一般の部では国立音楽大学卒業、現在アドバンストソリストコースで科目履修する高木雅也君が1位無しの最高位で2位に入賞しました。また前述の。若崎そらさんは、2017年、国際芸術連盟主催のJILA マリンバコンクールで1位無しの2位を受賞。このJILAのコンクールは一般の部での受賞で、学生のためのカテゴリーはありません。

最新情報では、2018年夏開催された東京国際打楽器コンクールで新野将之君がスネアドラム部門で第1位。青少年の部で鐘ヶ江肇君(現在高校3年生)が2位を受賞。他には私のが中学のころから指導し、音大に進まなかった生徒で、藤田愛さんが、2018年東京国際打楽器音楽コンクールで一般・社会人、マリンバの部で、堂々2位を受賞しました。

過去の国内のコンクールの受賞者には、石井喜久子(打楽器新人演奏会でグランプリ)新田初実(第一回スーパークラシック・オーディション・アンサンブル部門第1位)。日本クラッシックコンクールで村田朋子(1位)、塚越慎子(1位)、木次谷紀子(1位無し2位、第2回世界マリンバコンクール入選、打楽器協会新人演奏会グランプリ)小俣由美子(最上位で2位)、小島めぐみ(3位)、伊藤すみれ(3位)、峯崎圭輔(2位)、最近では、三森友美(最高位2位)、渡辺まや(最高位2位)、戸口あおい(3位)、藤澤仁奈(最高位で2位)。また、JILA打楽器コンクールで悪原至(1位)。JILAマリンバ・コンクールでは木次谷紀子(2位)、高口かれん(2位)、吉野智子(1位)、北川友里(2位)、藤澤仁奈(2位)、悪原至1位。神戸市国際コンクールマリンバ部門で藤澤仁奈が奨励賞。悪原至(1位)、渡辺まや(1位)、伊藤すみれ(2013 JILA マリンバコンクール 1位・現代音楽賞 )、悪原至(日本クラシック音楽コンクール2014年 グランプリ受賞)等。

国際コンクールでは過去に、安江佐和子が( 91年ミュンヘン国際コンクール・奨励賞)、塚越慎子が(ベルギー2位、パリ1位、2012年・出光賞)、新野将之が(イタリア1位、韓国JESU国際コンクールで1位無し最上位の2位)、2018年リトアニア国際打楽器コンクールで第3位を獲得。2018、東京国際打楽器コンクール、スネアドラム部門第1位。藤澤仁奈(2014 ベルギー国際マリンバコンクール・ 3位・審査員特別賞を合わせて受賞)、2016年、アメリカのThe Great Plains国際マリンバコンクールで第1位を受賞。など、思い出せるだけでもかなりの人数になり、彼らは演奏家として立派な成長を遂げている。加えて、鐘ヶ江肇君が2018年・東京国際打楽器コンクール、スネアドラム部門、青少年部門.第2位.並びにマリンバ部門第4位を受賞。

私が常日頃から思っていることですが、生徒たちにコンクールのような明確な目標を持たせることにより、それが進歩の引きがねになります。
勿論、全面的にサポートしてあげる必要がありますが、若い人たちには大きな可能性があります。どうぞ自分の目標を立てて、コツコツ努力を積み上げてください。

しかし、私はコンクール至上主義者ではなく、コンクールに参加しない生徒もたくさんいて、彼らの中でも立派な実は生み出されている。こうした言わば生徒たちが互いに励まし合って切磋琢磨して来れたことは本当に良かった。だからこの繁栄は生徒たちの人間力がまさに成長を促しているわけで、私も本当に励まされているし、自分を奮い立たせる原動力になっている。この機会に生徒たちの頑張りに対し、栄誉と感謝を表したいし、今後の彼らの更なる進歩と活躍を祈るばかりである。

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「N.T.ダオの世界」を終えて

 去る2012年9月29日に「N.T.ダオの世界」を終えて、大変大勢の方々からの賛辞と励ましを頂きました。
演奏会を主催してくださった「知と文明のフォーラム」の関係者の方々には大変お世話になり、感謝です。
音楽するということは聴いてくださる方々に喜び、感動、励まし、癒しといった、心を支えるものを分かち合おうという気持ちで演奏するのですが、演奏会を終えてみると聴いてくださった方々から自分が励まされているのに気づきます。本当に音楽って素晴らしいものだと改めて思う。
人間は自分が元気だから人を励ませるとは限らないし、励まさなくてはと思う人からも逆に励まされることもある。要は気持ち次第なのだと実感する。
やはり、ひたむきに、一歩一歩、前に向かって進むこと。素晴らしいことができるから凄いのでもなく、前に向かって生き、努力する姿勢が人を励ますのだと思う。と…、
そんな当たり前のことを再び思う。すべてに感謝を !! 。

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NHK、 マイケル・サンデル教授(ハーバード大学)司会の番組を観て

去る3月11日の日本が大惨事に見舞われた日本でのことについて、アメリカ・中国・日本を結んで、「今、私たちが何をすべきなのか」を考えるディスカッションが行われていた。この日本での惨事の様子が世界中に瞬く間に報道されたことにより、災害のすざまじさに驚いたのと同時に、一瞬にして家や家族や全ての物を失うという苦しみの中で、途方に暮れながらも互いに手を携え、それに耐え、冷静に行動している日本人の姿に感動し、賞賛のエールがよせられた。過去において対立関係があった国や、貧しい国からも救援の手が差し伸べられていることをあげて、過去の憎しみや、国や国境、利害を越えて「世界は新たな一致へと進んでいくことができるだろうか」を問いかけていた。私たち一人一人は、世界が1つになるために何をすべきかを考えるべきだし、そうした和を世界に広めていかなければならないと思った。//

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フェリーチェ音楽院 創立25年記念演奏会 

2010年12月11・12日、フェリーチェ音楽院 創立25周年記念演奏会が、高山市民文化会館と飛騨市文化交流センターで開催され、モーツアルトの「レクイエム」他が演奏されました。私は毎年、ティンパニで演奏に参加させて致していますが、オーケストラとその音楽は着実に成長していて、音楽的且つ感動的なコンサートとなりました。記憶に残るコンサートでした。オーケストラも合唱団もソリストたちも全員が一つになれたと思うし、そこにはモーツアルトの音霊が宿ったようでした。今回からフェリーチェ音楽院合唱団が組織されたことも素晴らしいことですが、今後もオーケストラと共に響きの和を広げていくことができるようになったことも嬉しいことで、今後が大いに楽しみになりました。フェリーチェ音楽院 創立25周年記念演奏会の成功、おめでとうございます。

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音楽家はどうやって活動を続けたら良いのか?

 音楽家として活動を続けていくのは大変なことなのですが、音楽史を振り返ってみると、有名な音楽家たちで経済的に恵まれなかった演奏家や作曲家は大勢います。それで、古くは宮廷に仕えたり、お金持ちからの援助で活動をしていた人たちが多いわけです。
時代が民主主義の時代になると演奏家や作曲家は以前の芸術探求の生き方とは違った生き方が求められるようになりました。
現代においては音楽が芸術的であるかどうかより、どのようにしたら興行として成り立つのか、経済的な採算に知恵を割く必要も出てきます。本来ならば芸術のために全神経を集中すべきところを、そういった煩雑なところに気持ちを向けていかなければならないのも仕方がないのが現状でしょう。
それでも、音楽・芸術を愛するためにみんな努力しているわけで、努力奮闘している皆さんを是非応援していただきたいというのが私の本音です。今日、日本には優秀な科学者、芸術家、音楽家もたくさんいるわけで、文化や芸術がもっと育っても良いと思うのですが、どの分野においても皆さん非常に難しい局面にあります。それでも頑張る大勢の方々、頑張り続けていただきたいし、私も引き続き頑張ります!!!

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感じる心、感動はまず自分の中から(その2)

音楽家は音符から音楽を表現する。

しかし自分のうちに感動が芽生えていないなら人を感動させることはできない。

だから何が自分にとって美しいのかを考えてみる必要がある。

たくさんの音符をひと固まりにとらえるのではなく、

一音一音の特色を良く観察し、味わい、表情を受け止めなければならない。

そして何度も納得のいくまで自分の感じる要素を音符に載せられるように練習する。

その細かな作業が自分の感動を音にして伝える動機を生み出す。

どんな才能の持ち主もその修練無しに感じることを人に伝えられるようにはならない。

過去のどんな天才もみな努力の結果なのである。

音楽を愛すゆえに、その修練は苦にならないし、それが音楽家を幸福にする。

その喜びが音楽となり、それはひとの心に共鳴する。

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感じる心 感動はどこから?(その1)

何が人の心の琴線にふれるのか?

感じる心はひとりひとり固有の傾向があり、同じではない。

それが個性であり、個性とは素晴らしいもの。

人はどんなことに感動するのか?

人が素晴らしいと何かを賞賛したからといって、それを鵜呑みにして感動するわけではなく、

自分なりに物事を判断し、ある種の感情を抱く。

やはり、自らの経験によって感動は芽生える。

音楽家は音楽を表現するわけであるが、

どうすればその音楽をもって人の心の琴線を触れ、感動を呼び起こせるのか。

自らが自分の表現する音楽への感動の度合いを深めることが先ず必要である。

そうするときに自分の内にその素晴らしさを人と分かち合いたいとの動機が芽生える。

しかし、それは自己陶酔を意味するのではない。

音楽を分析し、なぜ自分がそのことに感動するのか、その理由を自分に問わなければならない。

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美とはなにか

何が美しいのか

自分にとっての理想、それは美しい。

しかし、理想にあらずとも美しいものもある。

理想は究極の美であって、それこそが一番美しいものなのか?

そうとは限らない。

ある種のゆがみをもった不完全なものにも美しいものがある。

そこには愛着があり、これにはかなりの力がある。

美はどのように生まれるか?

あこがれが動機となる。

美へのあこがれが欲求となるとき、理想に近づくための苦しみを生じさせる。

理想へ向かうには苦闘があり、美は執念によって乗り越えた先にあるものに違いない。

また、探求の過程には理論があるべきで、それを達成するために技が必要である。

技を研くには独自の工夫も必要とする。

そのすべての飽くなき努力が美を生み出す。

究極は確かに美であるが、理想への飽くなき探求の過程、それ自体に美は既に存在する。

美はその過程において、それなりの光を放ち、力を持つ。

そこには究極の美に勝るとも劣らない美が存在する。

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